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『暇と退屈の倫理学』國分功一郎|暇と退屈をめぐる思想史と現代

更新日:23 時間前

退屈って解消できるの?

ふとした瞬間に「暇だな」「退屈だな」と思って、

気がつけばスマホを眺めている、なんて経験はありませんか。


そして、決して「暇」ではなくても、いつもと変わらない日常に退屈を感じ、

「何か面白いことはないかな」「刺激的な出来事が起こらないかな」と思ったりします。

私も会社員時代に、よくこの退屈を解消したいと願っていました。


では、私たちの日常にたびたび顔を出す、

この「退屈」を解消することはできないのでしょうか?





若者の退屈感がこの10年間で急増


現代社会で「退屈解消」は多くの人々の課題となっているようです。


カナダのトロント大学(University of Toronto)心理学部に所属するケイティ・YY・タム氏ら研究チームは、アメリカと中国の学生を調査し、過去10年間で若者たちの間で退屈感が急増していることを報告しました。(出典:ナゾロジー)


以下のグラフから、2011年以降、若者の退屈感が急上昇している様子がわかります。


2011年以降、若者の退屈感が急上昇している様子がわかります。


2011年ごろは以下のようなことがありました。


  • スマートフォンの本格普及期

    • iPhone 4S(2011)、LTE開始(2012)

    • 常時接続・常時刺激が生活に組み込まれ始める

  • SNSの急拡大

    • Facebook、Twitterが日常インフラ化

    • 「暇=即コンテンツ消費」という行動様式が定着

  • 動画・短時間コンテンツの増加

    • YouTube視聴の一般化(後のショート動画文化の前段階)

  • 経済・将来不安の常態化

    • リーマン後の停滞が「一時的危機」から「恒常状態」へ


研究者たちは、刺激的なコンテンツを容易に、しかも絶え間なく得られる環境によって、刺激そのものに慣れてしまい、かえって退屈しやすくなってしまうといいます。


とりわけ、短時間で快楽が得られるショート動画の普及は、この傾向を強めおり、

その結果、こうした環境で育った若者ほど退屈を感じやすくなり、本を読むことや静かに景色を眺めるといった、刺激の少ないが本来は豊かな活動を楽しむことが難しくなっていると警鐘を鳴らしています。







『暇と退屈の倫理学』國分功一郎|内容と魅力


さて、本題に移りますが、


「退屈という気分が私たちに告げ知らせているのは、私たちが自由であるという事実そのものである」。


本書は、ハイデッガーのこの逆説的な言葉を手がかりに、「暇」と「退屈」をめぐる問いを展開します。


國分は本書の中で、退屈を自由な主体として生きる人間に必然的に生じる状態として捉え直します。

そして、現代に近づくにつれて、これまで「暇」を手にしていなかった人々が「暇」を手にした一方で、退屈を生きるための技術や知恵が十分に共有されてこなかったことを指摘します。



現代人は自分が何をしたいのかを自分で意識することができなくなってしまっている。広告やセールスマンの言葉によって組み立てられはじめて自分の欲望がはっきりするのだ。自分が欲しいものがなんであるのかを広告屋に教えてもらうというこのような事態は、十九世紀の初めなら思いもよらぬことであったに違いない。


現代社会はこの「退屈」を、娯楽やコンテンツの消費によって処理しようとします。しかし、消費は退屈を一時的にはらすだけで、満足をもたらすことはなく、際限ががありません。



浪費はどこかでストップするのだった。ものの受け取りには限界があるから。しかし消費はそうではない。消費は止まらない。消費には限界がない。消費は決して満足をもたらさない。


『暇と退屈の倫理学』の特徴は、退屈を消費する解決方法を示すのではなく、退屈とともに生きるための倫理を問い直す点にあります。


身近な感覚である退屈を通して、私たちの生き方の意味を再考するところに、本書の魅力があります。





“退屈”すらも消費社会に搾取されていた


以上のことからわかるのは、まず中国とアメリカの若者たちが「退屈=自由」を手に入れているということ、そしてここ10年で急激に「退屈」を刺激的なコンテンツで消費され、搾取され続けているということです。


搾取されるというと、お金や労働など「生きるために必要なもの」を奪い取られているという感覚があります。


ですが、この本を通して、消費社会は私たちからあらゆるものを搾取しお金に変えているのだということ、そして“退屈”が搾取されるということは、改めて“退屈”が「生きるために必要なもの」であると再認識しました。


國分さんは「定住化」によって「退屈」を得た人間たちは、農耕や牧畜の出現、人口の急速な増大、国や文明の発生、産業革命から情報革命を極めて短期間のうちに起こしたといいます。


つまり「退屈」は、私たちの暮らしを大きく変えるための「思考や実験」をする余裕があるよという”脳の態度”であったとも言えるのではないかと私は考えます。


ですが、消費社会は「退屈」を搾取し、消費させます。

これでは、私たちが自分たちの人生や未来を考えるための「態度」がなくなってしまいます。


資本主義は「未来」を消費するとよく批判されますが、それはエネルギーや成長だけでなく「思考態度」すらも含まれるのだと気がつきました。


日本ではこの何十年と経済成長が鈍化し、新たな暮らし方を模索しないといけない時期に突入しています。

退屈と共に生きるためには、退屈を生きる知恵をつけなければならないと本書は訴えます。


その知恵とともに退屈を楽しみ、そしてその態度が新たな生き方、暮らし方、新しい世界のシステムの創造につながっていくことを願ってやみません。





まとめとおすすめ|こんな人に読んでもらいたい


本書は、退屈を「敵」として退ける本ではありません。

退屈がなぜ生じるのか、私たちはどんな条件の中で生きているのかを、静かに問い返す一冊です。

忙しさや刺激から少し距離を取り、自分の時間をどう生きるかを考えたい人に向いています。


こんな人におすすめです


  • 暇な時間ができると、ついスマホを触ってしまい、あとで虚しさが残る人

  • 「自由なはずなのに、なぜか満たされない」と感じている人

  • 退屈の正体そのものを考えてみたい人

  • 消費や娯楽に囲まれた生活に、どこか違和感を覚えている人



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<執筆者>

水島由季菜|プロデューサー/脚本家


 株式会社Protopia代表。ミュージカルの新しい形を探りながら、日々作品と真摯に向き合っています。

このブログでは、本や舞台をきっかけに「より良い未来」を考えるレビューをお届けします。

















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