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『私がフェミニズムを知らなかった頃』小林エリコ|それは“個人の弱さ“ではなく“社会構造”

  • 執筆者の写真: protopia musical
    protopia musical
  • 9月19日
  • 読了時間: 5分

更新日:9月29日

あなたの思考はあなたのものですか?


「女の子だから」「男の子なんだから」

幼い頃、気づけばそんな言葉に従ってきた自分はいませんか?

 

学校では、男子が先に名前を呼ばれ、女子は後ろに並ばされる。

家庭では、母親の背中を見て「女は家を守るもの」と刷り込まれる。

職場に出ても、女性の身体は“消費される存在”として扱われてしまう。

 

こうした積み重ねが、知らないうちに“あなたの当たり前”となり、思考そのものを縛っているかもしれません。

 

そんな「日常の中に染み込んだジェンダー格差」を告発し、フェミニズムに出会うまでの苦悩を赤裸々に綴ったのが、小林エリコ『私がフェミニズムを知らなかった頃』です。





学校や家庭など日常生活に潜む性別格差・性的消費


公益社団法人ガールスカウト日本連盟(会⻑:間奈々恵、以下「ガールスカウト⽇本連盟」)が、2024年に実施した『中学生・高校生のジェンダーに関する意識調査2024』報告書によると、


母親、そして学校の先生から性別を理由で何かをやらされた(期待された)り、制限されていると感じている中学生高校生が一定数いることがわかります。


女の子だから、男の子だから何かをやらされたことがある。
女の子だから、男の子だから何かをしなくていいと言われたことががある。


また、性的嫌がらせを受けたり、見たりしたことがある中学生・高校生は、決して少なくありません。


性的嫌がらせを受けたり、見たりしたことがある。

性的嫌がらせを受けたり見たりした場所としては、「家」「パートナー」「学校」「学校以外の習い事」「公共の場所」「メディア」など。これらは日常生活のごく身近な空間であり、性的消費の眼差しが子どもたちを取り囲んでいる現実が浮かび上がります。


このように、性別差別、性的消費は小さい頃から私たちの日常に常に存在しており、自分達の気がつかぬうちに、私たちの思考を蝕んでいます。





小林エリコ『私がフェミニズムを知らなかった頃』の内容と魅力


ひとたび本書を開けば、「自分も同じことを経験してきた」と驚く女性は少なくないでしょう。

著者は1977年生まれですが、その体験は過去のものではなく、いまも社会の中に息づいています。



学校では名簿が男女別だった。そして、名前を呼ばれるのは男子からで、そのあとが女子。(…)知らないうちに、男子が先で女子が後、という概念が体の中に刻まれていく。私の体には女性が2番目という意識が少しずつ積み重なっていった。そして、男子はきっと自分が一番だという意識が育っていったのだと思う。

それに、私たちはハゲ先生が胸を触ってきたとき、怒ったり怒鳴ったりしなかった。(…)それは私たち女の優しさだ。男である彼の性欲をいなして、罪を咎めないであげていたのだ。でも、そうやって笑い合っていたことで、ハゲ先生は私たちが喜んでいたと考えたかもしれない。

思えば結婚という制度は男にとって良いことしかない。(…)外で働いていない妻はお金がないから、逃げ出すことはできない。そう思えば、多少の暴力や暴言を吐いても男は平気だろう。「どうせ、妻は一人で生きていけない」という気持ちが男にあり、女にも植え付けられている。


小林エリコ『私がフェミニズムを知らなかった頃』は、家庭・学校・職場とあらゆるライフステージで女性が晒されてきたジェンダー格差を、著者の実体験を通して描き出します。


その格差を“当たり前”“避けられないもの”と受け入れてしまったことで、彼女の人生は抜け出せない苦しみへと追い込まれていきます。


一見すると「もっと違う生き方もできたのでは」と思える選択も、幼少期から刷り込まれたジェンダーバイアスが思考や行動を縛っていたからこその結果です。


読み進めるほどに、この物語は特別なケースではなく、私たち全員が無意識に抱え込んできた現実だと気づかされます。                      





決して女性だけの物語ではない


私が本書を読んで強く感じたのは、これは決して女性だけの物語ではないということです。


社会は健康な男性をモデルとして成立している。学業でそれなりの成績を収め、きちんと就職して働ける人には居心地の良い社会かもしれないが、そうでない人には厳しい社会だ。

とあるように、「健康な男性」というモデルに当てはまらない女性以外の人々もまた、社会の中で弱者として苦悩しています。



例えば、不登校の子ども、低学歴の女性、経済力を持たない男性──彼らはしばしばその状況を「個人の弱さ」とみなされてしまいます。

しかし、それらの事象は健康な男性を優先に設計された社会の皺寄せであり、彼ら個人の問題ではなく、社会構造の問題です。


本書で最も重要なメッセージだと感じるのは、タイトルにある『私がフェミニズムを知らなかった頃』という言葉です。


問題は「知らなかった」ことそのもの。

社会が「健康な男性」を基準に設計されているという事実を知らないままでは、格差の仕組みを見抜けず、私たちは無意識に思考や行動を縛られ続けてしまいます。


もし、あなたがこの問題を「知らなかった」ら、あなたはまだ、あなたの人生を生きられていないかもしれません。



私が構想しているミュージカル『最果てのミューズ』は、歴史を通して「男性を優先に設計された社会」が作られた実態を読み解いていく物語として構成を進めています。





まとめとおすすめ|こんな人に読んでもらいたい


本書は、フェミニズムを“理論”として知るのではなく、“体験”を通して実感するための入口になります。読者は、自分自身の「当たり前」がどこからやって来たのかを振り返り、思考の根っこに潜むジェンダーバイアスを問い直すことになるでしょう。


自分自身の思考や選択、そして行動に疑いを持って、ぜひ本書を手に取ってみていただきたいと思います。


こんな方におすすめです

              • 「女だから」と言われてきた経験を振り返りたい方

              •  恋人や結婚における依存関係の背景を知りたい方

              • 女性の貧困やジェンダー格差を実感として理解したい方

              •  自分の思考や選択が本当に自分のものか問い直したい方



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<執筆者>

水島由季菜|プロデューサー/脚本家


 株式会社Protopia代表。ミュージカルの新しい形を探りながら、日々作品と真摯に向き合っています。

このブログでは、本や舞台をきっかけに「より良い未来」を考えるレビューをお届けします。





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