『新自由主義の暴走』ビンヤミン・アッペルバウム|経済学者によって助長された貧富の差
- Yukina Mizushima
- 21 時間前
- 読了時間: 7分

家がもともと貧しいから。自分の能力が低いから。
あるいは、裕福な家に生まれたから。自分の能力が高いから。
そんな風に、貧富の差が広がる理由を考えたことはないでしょうか。
ですが、貧富の差は、資本主義という制度を土台にしながら、
特に1970年代以降に広まった「新自由主義」という経済思想と政治によって
正当化され、拡大してきたものでした。
新自由主義とは
私たちの社会を根底から塗り替えた「新自由主義」とは、一体どのようなものでしょうか。
かつて経済には政府によって管理され、不正や不平等を阻止するための「規制」がありました。
しかし、新自由主義はそれを「非効率で邪魔もの」として切り捨てました。
「市場は常に正しく、自由にさせておけばすべてがうまくいく」
このシンプルな信仰が、一部の経済学者たちによって囁かれ、
それに呼応するように、政治家たちは国を管理するための経済規制を次々と取り払っていきました。
その結果、社会は資本を持つ者が「より自由に」儲けられる場所へと変貌を遂げます。
確かに「新自由主義」は、一時的に経済を活性化させ、国民の生活を底上げした側面もありました。
ですがその後、タイトルにある通りの『暴走』が始まります。
以下の引用は、効率(費用対効果)を重視するあまり、人の命よりも自動車産業の経済的利益を政府が守った事例です。
有名人の死によって生じた大衆の怒りの中で、ジョンソン政権は大型トラックの後部下に金属製の棒の設置を義務付けることを提案した。規制当局はこの「マンスフィールド・バー」によって年間180万人の命が救われると推定した。だが、数年間の論争の後、フォード政権は1974年にこの案を棚上げした。命の価値を20万ドルと推定して、コストを正当化するためにはこのバーによって四倍の命が救われる必要があると結論づけたのだ。
「お金」と「人の命」を天秤にかけてはお金を選び、
経済格差が広がるのを必要な痛みだと眺めていた経済学者と政治家は、
その『暴走』を止めることはしませんでした。
この論法の核は「儲かった人がお金を使って、貧しい人を雇用するはずだし、物を沢山買って市場を活性化させるはずだから貧富の差は自然となくなる」という点なのですが、
資本家は、儲けたお金を市場に返すのではなく、何かを買収したり(お金は資本家から資本家の手に渡る)、「変動相場」で賭けに使うことが多く(バーチャル空間でお金が増えたり減ったりするだけ)、中小企業や労働者のもとにほとんどお金は落ちてきませんでした。
そして、資本家たちの大きなギャンブル会場と化した世界経済は、
リーマンショックという破綻の足音がすぐそばまで迫るその瞬間まで、
「市場は常に正しく、自由にさせておけばすべてがうまくいく」という言葉を信じて拡大し続けました。
その後、脱・新自由主義的な政策が少し取られましたが、今ではまた新自由主義的な政策に揺り戻ってきています。
『新自由主義の暴走』の内容と魅力
本書が描き出すのは、1970年代を境に、世界中の「ルール」が一部の経済学者たちの手によって書き換えられていったプロセスです。
今では当たり前のように受け入れられている「変動相場制」も、元を辿ればアメリカの政策的失敗が招いた結果であり、世界が望んで選んだ制度ではありませんでした。
このように、私たちが「経済の真理」だと思い込まされている仕組みの多くが、実はその場しのぎの決断や、一部の権力者の都合によって強引に作られたものである事実を、本書は克明に暴き出します。
本書の大きな魅力は、現代社会を壊した「新自由主義」の正体を、生み出した「人間たちの物語」として描いている点にあります。
難しい経済の仕組みを解説するのではなく、あくまで「人間の考え」をベースに『暴走』の原因を解き明かしてくれます。
それが「真理」ではなく「人間の考え」である以上、経済学に詳しくなくてもその是非を判断でき、時には反対意見を持つことも可能です。
その結果、この本を通して、私たちはこの暴走を止めるために何ができるのかを、自分自身の問題として深く考えることができます。
新しい◯◯主義を考えてみる
本書を読み終え、私は知らず知らずのうちに新自由主義に振り回されていた「以前の自分」ではなくなりました。
これまでは、社会に広がる格差や日々感じる生きづらさを、どこか「自分の能力不足」や「自己責任」として受け入れていた部分がありました。
しかし、それが新自由主義というシステムの帰結であることを理解しました。
同時に、「システムが変われば生活が変わること」、そして「そのシステムは政治によって変えられること」も、私の中に確かな知識として刻まれました。
今、新自由主義とは「資本」主義を突き詰めた究極の形であると感じています。
そうであるならば、資本主義という根本の考え方を変えれば、設計されるシステムも自ずと変わるはずです。
「〇〇主義」とは、何を軸に物事を考えるかという姿勢の表明です。
例えば社会主義は、社会を中心に考えることを指します。
ご存知の通り、社会主義も資本主義と同様に多くの課題を抱える主義です。最近ではその改良案も多く目にしますが、私たちの選択肢は、決して「資本主義か社会主義か」の二つだけではありません。
例えば、自身が一番大切にしたいものを〇〇に入れて、
新しい主義を考えてみるのも良いと思います。
この本を読み終えて私が思いついたのは、
類的存在主義です。
「類的存在」とは、マルクスが提唱した、人間を「自由で意識的な活動を通じて、自らの可能性を広げていく存在」と捉える考え方です。
本能を超えた創造性:動物が生存に必要な分だけを生産するのに対し、人間は必要がない時でも「美」や「理想」を求めて自由に、創造的に世界へ働きかけられる。
労働こそが自己表現:人間にとっての活動は、本来、単なる生活の手段ではなく、自分の能力や個性を形にする「喜び」を伴う自由な自己実現のプロセスである。
本来の姿への回帰:現代社会で働くことが「苦役」となっているのは、この創造的な本質から切り離されている(疎外されている)ためであり、人間が再び「自由で創造的な類的存在」として生きられる社会を目指すべきである。
人は本来、誰もが創造的な生き物です。
しかし現代では、教育によってその創造性が閉ざされてしまっていると感じています。
もし、この「類的存在」を中心に社会を設計したなら、一人ひとりのユニークな創造性が正当に評価される世の中になるはずです。
そうなれば、世界はみんなの知恵や創造によって、もっと良くなっていくのではないか。
私は今、その可能性を強く感じています。
まとめとおすすめ|こんな人に読んでもらいたい
『新自由主義の暴走』は、単なる過去の経済史を記した本ではありません。
私たちがなぜこれほどまでに「数字」に追われ、自らの「創造性」を押し殺して生きなければならないのか。その構造的な原因を、血の通った人間の物語として解き明かしてくれる一冊です。
経済や政治は、決して自分たちとは無関係な場所で動いている「逆らえない天災」ではありません。それはかつて、誰かの意志によって設計されたものであり、だとすれば、私たちの意志によって「書き換える」ことも可能なはずです。
今の生きづらさの正体を知り、もう一度「自由で創造的な自分」を取り戻したいと願うなら、本書はそのための強力な武器となります。
こんな人におすすめ
「今の世の中、何かがおかしい」という漠然とした違和感を抱えている人
努力が報われないことを「自分の能力不足」のせいにしている人
資本主義の限界を感じ、新しい生き方を模索したい人
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<執筆者>
水島由季菜|プロデューサー/脚本家
株式会社Protopia代表。ミュージカルの新しい形を探りながら、日々作品と真摯に向き合っています。
このブログでは、本や舞台をきっかけに「より良い未来」を考えるレビューをお届けします。



